弐蜂

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Published in Japan - Social interactions and entertainment - 26 Feb 2019 04:08 - 0

しょうぶごとでいえば、しょくもつれんさにおける
じゃくにくきょうしょくということがある。これに、
ついて、なにがてんてきとなるかをかんがえると、
じかんのつかいかたや、ばしょのえらびかたで、ひ
とつのけいさんが、かんけいとしてみえてくる。そ
れは、
「ウソ」は、「かくしごと」にかてない。また、
「かくしごと」よりも「じかくのないかくしごと」
がまさる。さらに、これよりも、
「やさしさ」がうえである。だがこれもまた、
「なんでもない」ことにたいしては、むりょく。
この「なんでもない」ことがしかし、すべてのとく
ちょうにまけるかのうせいがある。つまり、かちに
きたあいてには、かてない。
このけいさんは、しょうりをきたいするときに、け
っしてまちがいとはいえず、むしろ、しっぱいであ
るという。だが、しょうぶとは、まちがえたほうが
かつというジンクスもある。ジンクスは、えんぎと
してみれば、しょうはいをきたいするときには、け
っかにたいしてまよいをうむ。だが、かちもまけも
てんうんにゆだねるならば、すべてのしょうぶは、
つねにごかくであり、このときのえんぎは、なにを
もってごかくとみるかというような、びょうどうの
しやにたつそのじょうけんとしてのえんぎである。
つまり、もじどおり、えんとしておこるかんけいを
みるといった、ことばのほんらいのいみになる。

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