弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 25 Feb 2019 23:26 - 0

どこまでも、あまさにこだわるのは、しょくのたのしみのため。この
たのしみは、わずかにかんじるくちのなかのあまみにある。しかし、
つよすぎるあまさは、くどさであり、そのまま、しょうゆにまけてし
まう。あまさにこだわるには、しょうゆにまけずに、わずかにとどく、
くちのなかのあまみにある。しょくざいのあまみもとうぜんながら、
とくにさとうのあまさは、みかくのちがいをたのしむ。ちょうみりょ
うと、しょくざいと、あらゆるしょっかんとをひきたてて、あまみを
のこす。ここに、あとあじのよさがある。あまさによって、なにより
も、しょくのたのしみとして、これをつぎにつなげることにある。そ
れが、しょくのふかさである。

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