弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 25 Feb 2019 19:48 - 1

にんげんは、はたらきとしてみれば、オールマイティである。
かみや、ほとけは、もくてきからみてオールマイティである。
にんげんは、そん、とくをみて、オールマイティのじかくをうしなう。
だが、かみや、ほとけは、にんげんのはたらきが、つねにとくである
とおしえて、かならず、きゅうさいのもくてきをはたす。
そんしたとみれば、そのげんいんがウソにもとづくから、このじかく
をうながしておしえれば、みずからまちがいにきづいて、いかにそれ
がとくであるかを、みずからかんがえて、きづくことができる。
このほうそくが、「さとり」である。これは、つまり、こべつのかん
がえかたをもつ。すなわち、ひとつのウソがあって、じぶんがひとり
のにんげんとして、そのまよいをはらす。さとりとは、そのどくじの
かんがえである。これは、ひとのはたらきがすべて、オールマイティ
であるということをひとつのかんがえとして、これを、しんじつとい
うことばとしてしめすところに、しゅうきょうがある。したがって、
かならず、きゅうさいをはたすが、そんとくにおうじて、さまざまな
おしえがあり、かみやほとけのやくわりにおうじて、しゅうきょうの
ちがいがある。ぶっきょうのさとりは、そのみのうえのじんせいのあ
いだに、つまりいきているうちにきゅうさいがなること、ひとのまよ
いは、すぐにはれるまよいのとくちょうであることを、とくにきょう
ちょうするというものである。

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