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弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 15 Feb 2019 21:18 - 0

インターネットは、あたかも、かいしゃというわくの
ないかいしゃのようである。それこそ、かいしゃでは、
そのかんばんが、かいしゃをまもるが、インターネッ
トでは、こじんのプライバシーをまもることだけが、
そのかんばんのかわりをしてくれる。インターネット
は、たしかに「くに」ではないが、しゅひぎむにより、
これをいちづけることができる。それは、こじんが、
じぶんで、プライバシーをもちこむところにインター
ネットのほんしつがあるから。
しかも、これがあんぜんに、かつどうとしてけいぞく
されることで、しゃかいのつうしんネットワークが、
せかいきぼで、てんかいされる。
いわば、うみのいとなみをまもるのは、たしかに、さ
かなたちのじこせきにんだが、ひとがうみをよごさな
いことは、じぶんのいえをよごさないこととおなじ。
インターネットをまもることは、しゅひぎむがどこま
でできるかということであるが、じつに、ぎむという
よりも、こじんてきせきにんからして、これをわきま
えれば、じぶんでわがやをまもるのがとうぜんである
ようなこと。かりに、これがちがうというところにお
いて、あたかも、くにやほうりつがいらない、うみも
かってになんとかなるというのとおなじである。
インターネットをじんるいのぶんめいのたからとして
じぶんでじかくするならば、すでに、ここにおいて、
そのおんけいにあずかるじぶんのみらいがある。

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