弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 15 Feb 2019 04:11 - 1

おてらには のこってしまうひと
せいじには あがってしまうひと
おみせには わかってしまうひと
スポーツには できてしまうひと
かったときから しらないころに もうもどれない
ただ うたがときをかせいでくれる もう
じぶんのじかんは じぶんのために タダじゃない

じゆうをすてたときから らくをかちとって
こころにせをむけ やがてすべてをてにいれるため
ときのながれに つながりのあとをきざみつける

だから あしたには きのうのじぶんがいる
いまは どこまでも あしたのじぶんをおいかけて
いつか いのちおえるときに 
すべてのじぶんをうけとめる てんのせかいまでは 
ひとのすがたはすてない

こころあればおもいだす これをすてても
あしたにはきっと また らくがあるはず
きのうみた おぼろげなかおは
おなじなかまの にんげんだろう

すべてのにくしみは いつか わすれてもいい
でもけっしてじぶんのてんのせかいをうしなわない
ひとのすがただけは なにがあってもぜったい
まもりつづけて あのよでも まもりとおして
かららず また ひとのこころでうまれてくるから

ひとのことばを また しゃべるために

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