弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 09 Feb 2019 17:52 - 0

にほんのへいわのりゆうは、じぶんのかだいとして、もんだいを
うけとめるところにある。

これには、てきがいるからというりゆうで、それをがまんするの
ではない。
いわば、ダイエットのもくてきは、やせるためではなくて、けん
こうのため。つまり、けっして、ふとったひとが、てきなのでは
ない。けんこうをくずすリスクをじぶんのなかにみとめて、これ
とたたかう。これを、じしんのもんだいとしてうけとめ、じぶん
でとりくむべきかだいとすることである。

これは、てきがいるからリスクになるのではなく、じぶんじしん
でとりくむべきかだいであるから、がまんがひつよう。ここに、
なにをもくひょうにするかということが、ほんとうのもんだいで
ある。すなわち、もくてきをさだめ、もくひょうがみえる。もく
てきと、もくひょうがかさなり、そのためのしゅだんをこうじる
ことで、いっかんしてとりくむべきかだいとなって、じぶんのな
かにさだまる。

それには、もんだいとしてのリスクや、もんだいとなるそのじょ
うたいについて、じぶんのなかにげんいんをみつけることにより、
かいけつをもとめる。では、そもそもてきとはなにか?これこそ
は、じぶんがするべきがまんのかわりに、そとにてきをもとめて、
これをげんいんとしてかんがえるようなこと。かりに、ふとった
からだをわるくいうものがてきだとすれば、ここで、いちどかん
がえなおしてみて、じぶんがめざすはずのほんとうのもくてきは、
けんこうにあるとみる。これは、やせることでてきにかつのでは
なく、むしろ、きょうつうのもんだいいしきをもつことで、こん
ぽんてきな、もんだいのかいけつをめざす。すなわち、ここに、
たがいのもくてきのいっちをみて、きょうつうのかだいとして、
これにとりくむべきなかまとしてささえあう。とうぜんながら、
けんこうもんだいは、じんるいきょうつうのテーマである。

よりおおきなもんだいいしきでみれば、これをじぶんのもんだい
としてうけとめたとき、じぶんでなんとかするしかないものであ
るとしてみさだめる。そして、じぶんのなかにげんいんをみて、
ここにしゅだんをこうじることが、じかいじりつである。これに
よって、ただしいすじみちをみさだめて、ここからはずれないよ
うに、がまんすること。これをあきらめず、もくてきをはたすま
で、がまんをつづけることが、みちをゆくということ。まず、み
ちをみさだめ、じかいじりつであきらめず、しかもけんこうもん
だいは、いきているあいだじゅう、じぶんでとりくむかだいであ
るとかんがえるのが、しんじるみちをいくということである。

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