弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 07 Feb 2019 01:44 - 1

かそうつうかは、たしかにデジタルしさんではあるが、これは、
どちらかというと、むしろ、げんきんつうかけいざいのための
サービスであるといえる。
なぜなら、インターネットでさんしゅつされるしげんとして、
これを、げんきんとのとりひきや、デジタルトレードにてかつ
ようするが、このとき、くにのほうていつうかと、とりひきさ
れることで、こくないのしさんとして、まもることができる。
これは、りようかのうなサービスが、ほうていつうかをゆうせ
んするので、これがそのまま、こっきょうのかべのようにして、
とりひきをせいげんし、これにより、こくないのりようしゃと
サーバしげんについて、おなじこくないでかんりして、まもる
ことができる。

いっぽうで、ほんらい、インターネットには、システムとして
みれば、しゅつにゅうこくでみるところのこっきょうがなく、
じぶんのりかいげんごのおよぶところで、こくさいネットワー
クとしてりようすることが、きょうつうしたそのりてんである。
このため、インターネットでは、かそうせかいとしてのどくじ
のじりつした、じゅんかんけいざいをたちあげ、これで、ぜん
たいとして、ひとつのつながりをもつオープンなコミュニティ
が、けいせいかのうである。

だが、これはもちろん、げんきんつうかのじったいけいざいと
のれんけいが、ひつようふかけつ。すなわち、せいかつのじっ
たいからみれば、げんきんは、これまでどおり、ぶつりゅうに
おける、じゅようときょうきゅうをまもるために、ぶっかやか
ぶしきなどで、ほうていつうかとして、これらをあんていさせ
るための、げんざいのしゃかいのしくみが、とうぜんながら、
そのままにひつようである。

したがって、インターネットにおける、かそうせかいとしての、
もっともじゅうだいなやくわりとしては、ほうりつをこえて、
あるいはしゅうきょうをこえて、また、しょうばいや、しごと
のたちばをもこえて、こくさいしゃかいぜんたいが、すべてお
なじにんげんとして、ここにこうりゅうをもつことにより、く
にとしての、しゃかいせいかつをまもるためのつながりである
ところの、かそうしゃかいのかたちがある。

ここには、どくじのけいざいがけいせいされることで、コミュ
ニティのきのうをはたしながら、げんじつのじったいけいざい
と、みっせつにれんけいすることにおいて、これがつまりは、
こっかけいざいをまもるためのヒューマンネットワークとして
のじゅうだいなかのうせいをもつものである。

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