弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 04 Feb 2019 01:53 - 0

いわゆる「かなしみ」が、じゅんすいなうんめいそのものとして
ほとけがある。また、これを、けっしてすてることができないと
ころに、ほとけのこころがある。

ひとはだれもがこれを、どうすることもできず、うけいれるしか
ないげんじつのまえに、おなじ「かなしみ」のにんげんをじかく
する。ここに、しんじるだけしかできないこころがある。

すくわずにおれぬほとけのおしえにあい、ただ、そこにかんがえ
かたのいきるちからをいただく。こころには、じぶんのいのちに
さきだって、じょうどのかえるばしょがあり、どりょくとくろう
をえらびとって、じこひていのまよいをまちがいとしてさとるだ
け。
ナムアミダブツのみょうごうは、おしゃかさまのとうといさとり
のおしえ。きくもよし、となえるもよし、みるもよし、みないも
よし、きこえぬも、いわぬも、これらがみな、とうといくどくの
じゆうなこころ。このみょうごうにより、すべてはごりやくとう
けとめて、ひととしてのじゆうをこころにあじわうなり。

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