弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 03 Feb 2019 03:28 - 0

やはり、おもったとおり、たばこにも、まんぷくがある。
これは、ことたりてこそ、まんぞくをしる。

たばこえらびも、けっきょくはあいしょうであるとすれば、
このじゅんあいにこそ、じぶんのけんこうをわかるときの
じゅうじつかんがある。
いわばこれは、おやからのいでんに、まったくふそくなど
はないと、かんじるようなときのこと。またじつに、やま
いやけんこうも、からだのしょうじきであって、けっして
これを、じぶんでごまかしても、まったくいみはない。つ
まり、じぶんのことをりかいするように、じぶんでうけと
めて、なっとくをかんじるようなときのこと。
あるいは、ひごろのたしゃへのはいりょについて、おもい
かえし、これが、たばこのつきあいのなかで、そのまま、
じぶんじしんにたいするえいきょうとしてのうけとめとな
ることを、じっかんするようなことである。
さらに、みぢかなどうぶつのたいどをみれば、それが、ま
るで、ひごろのじぶんじしんのたいどそのままであること
をかんじるようなことで、このくうきまでも、ごまかすこ
とはできない。
しかしながら、このようにして、たばこのまんぷくかんを
あじわうときに、まるでじぶんじしんについて、あじわう
かのようなじゅうじつかんを、ぼくはかんじるのである。

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