弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 31 Jan 2019 20:25 - 0

てきをゆるすこと、あくにんをゆるすことにおいて、
にんげんせいがある。しょせん、じぶんのつごうで
みる、てきやあくにん。ゆるしがたきは、じぶんの
つごう。はたして、つごうのわるさをがまんして、
ゆるせるかどうか。

だが、ひとが、ひとをさばくかわりに、ほうりつが
ある。ほとけのきゅうさいは、むじょうけん。
そこで、ひとはむしろ、たにんをみとめて、そのた
ちばをうけいれるところに、ゆるされるものがある。

おおくのものが、そのたちばをひていして、あらそ
いや、たいりつがあるが、おおくのにんげんがいれ
ば、いろんなたちばがあって、ほんらい、これは、
さけられない。
そこで、ほうりつや、しゅうきょうのおしえから、
ひとびとのそうごりかいをもとめるのが、しゃかい
におけるにんげんせい。

どうしても、つごうのわるいことを、どうやって、
うけいれてゆけるか?このにんげんせいのなかに、
へいわのきぼうがある。

Support

Comments (0)