弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 23 Jan 2019 03:18 - 0

がまんくらべは、けっしてけんかではない。なぜなら、
もくてきが、けんかじゃない。

いっしょにがんばったほうが、たくさんがまんできる
から、くらべてみようとする。そして、じぶんじしん
のために、しょうじんのはげみとする。

しかも、おなじとくいぶんやで、なかまとしてたかみ
をめざすもの。

くじけず、へこたれず、なまけずに、じぶんのすきな
ことに、ずっととりくむために、さまざまながまんく
らべがある。
たのしいことがつらくなったときも、きっとなかまの
そんざいが、じぶんのささえとなる。

したがって、たがいのじつりょくをひきだすために、
むしろ、けんかをがまんして、あらそわず、よけいな
ことにかまけず、じぶんのどりょくに、しゅうちゅう
する。

これがさいしょから、まじめにとりくむことが、しょ
うらいのじぶんためになる。しっぱいもすべて、はじ
じゃなく、むしろ、これこそどりょくとして、すべて
のけっかをじぶんのほこりとする。そして、どりょく
をどりょくのまま、どりょくをおえるものである。

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Kame Sennin

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