弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 19 Jan 2019 19:31 - 0

あえて、ねんぶつはいらないともいえる。これは、きけんじゃない。
でも、くすりだともいえる。これをうそだとすれば、ねんぶつはいらな
い。だが、だましてでも、じごくにはいかせない。
ほうっておけば、あらそいになり、まけるやつがわるい。わるいやつが、
じごうじとくでじごくをみる。
だが、ねんぶつがありがたい、ごりやくだときけば、どうだろう。
なんにもならない、となえるだけの、なむあみだぶつが、はたして、ほん
とうに、ひとをすくえるか?
だが、これをきけば、なにかあるとおもう。なにかひみつがあってじつは、
なにか、おたからじゃないかとかんがえる。そんなふうに、
だまされてほしい。ひとりもじごくにいかせない。だましてでもすくう。
とうぜんなくらしが、あたりまえで、じょうどなんてわからなくてもよい。
でも、まもられていることを、つたえたい。
ほんとうに、ねんぶつはなんでもないんです。でも、だまされたとおもい
ますか?なにか、きたいしたでしょう?なんでもなくてすみません。
これは、だまされても、だましても、あんぜんです。あんしんしてくださ
い。このあんしんが、しんじるということです。
じょうどは、しんじつです。わからないところで、あんしんしてください。
わかるのは、わかるぶぶんが、にんげんです。わからないところがほとけ
です。しんじつは、わからないせかい。しんじつを、あるといえるし、な
いともいえる。どちらでも、よいですから、もしも、わからなくて、たし
かなことが、じぶんのなかで、なくなったとき、ねんぶつのなんでもない
せかいを、おもいえがいてください。じぶんがだめでも、しゃかいがだめ
でも、ねんぶつというなんでもないものがあります。こころはどうですか?
こころあるにんげんです。だれでも、こころがあって、みなくろうがある。
あらそいを、いかりを、ふあんを、あせりを、なんでもないとおもってく
ださい。いのちはどうですか?ほとけはいのちのせかい。わからないけど、
みえないけど、いのちはあります。だれにでもあります。これをみうしな
うときもあるけど、しんじてください。いのちに、こころがある。ほとけ
のせかいは、いのちのせかい。まよえるひとびとを、すくいたくて、ねん
ぶつがあれば、それでなんとかなる。あとは、ひとのじゆうです。
なにもかもじゆうだけど、ねんぶつをえらんでみませんか?しんじるここ
ろで、いきてみませんか?
しんじるこころがあれば、あんしんできる。だから、かみでも、おかねで
もよい。しんじてください。どこにでも、いのちがやどり、すべてほとけ
さまが、みまもっていてくださる。
ですが、あらそいはいけません。けんかはいけません。これはどくです。
くすりにはならない。どくもくすりといえるのは、いがくのせかい。
けんかやあらそいは、ひとのどくです。ひとはじゆうだけど、どくもある。
でも、かならず、くすりのちからがまさる。こころは、どこかであんしん
をとりもどす。ならばさいしょから、しんじてみてください。どくをため
すまえから、しんじて、ほとけをねがってください。これは、へいわをね
がうこととおなじです。
どくもこわくない。どくもこのむ。でも、ねんぶつしてみてください。
ねんぶつのねがいにせっすれば、それだけで、すでにききめがあります。
あとは、かんしゃのことばにであうでしょう。これがなくなることはない。
それが、しゅうきょうです。どうも、ありがとうございました。

なむあみだぶつ なむあみだぶつ

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