弐蜂

Shogo - Newspaper from Japan -

Published in Japan - Social interactions and entertainment - 17 Jan 2019 04:40 - 0

いのちおわるときにのぞんで、あるいはしんぶつに
むかうときに、じぶんは、いつものあんしんとまん
ぞくがこころにありますか。じぶんじしんにきいて
みる。

しんぶつのまえだけでなく、いつどこでも、こころ
にしんぶつをねがい、おもいえがく。
しのまぎわだけでなく、いつでも、いのちがおわる
しゅんかんのことをかんがえる。まるで、そのとき
であるかのように。

ふだんのあんしんとまんぞくのときに、しんぶつを
ねがい、こころとからだがじぶんのおもいどおりで、
せいかつがだいじょうぶでも、ときにはどうにもな
らないこともあるというげんじつをうけとめる。

げんじつは、じぶんのつごうだけでなく、しんぶつ
がまもるせかいである。ゆえに、じぶんのつごうを
はなれて、しんぶつにすべてをゆだねる。これが、
しんじるということ。しょせん、そんとくは、その
ときそのときのきもちのもんだいにすぎない。いや
でも、どうにもならないことを、たにんまかせでは
うまくいかず、じぶんのげんじつとしてうけいれる
ことがひつよう。いのちおわるときにも、あんしん
とまんぞくでじぶんのすべてをおわることができて、
ふだんからも、それができる。くろうやどりょくを
こばまず、じぶんのためにがんばること。そんして
も、とくしても、たにんとくらべるじぶんがいるだ
け。
しんぶつにむかうときは、じぶんひとり。いのちが
おわって、あのよへいくときもじぶんひとり。
くろうとは、じぶんのためのどりょくだとけついし、
これをひきうけるのも、さいごはじぶんしだい。
こうかいもまんぞくもじぶんしだい。
しんじてあゆめば、なにがあっても、さいごはしん
ぶつのせかいがむかえてくれる。そこへゆくまえま
でも、まもってくださる。これが、しんじるという
こと。
もしかりに、しんじてからこうかいがあれば、じぶ
んのうぬぼれとわがままゆえに、これもまたじぶん
のためのくろうだからと、げんじつをうけとめる。
まよいのかずだけ、しんじるこころはふかまる。
げんきなうちにますます、しんぶつにちかしくなる也。

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Kame Sennin

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